2010年3月23日火曜日

Windows API Code Pack v1.0.1のセットアップ

Direct2Dをマネージコードでいぢりたかったので、Windows API Code Pack for Microsoft .NET Framework (v1.0.1)をセットアップした。
色々とハマったが、その度に先達たちに助けてもらったので、忘れないようにチラシの裏に書き留めておく。

【用意するもの】
  • Windows API Code Pack for Microsoft .NET Framework (v1.0.1)
  • DirectX SDK (March 2009)
  • Windows SDK for Windows 7 and .NET Framework 3.5 SP1

2009年6月27日土曜日

いちご100%

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先日、道端に落ちていた「いちご100%」コミックス全19巻を拾ってしまった。

今まで特に引っかかることも無く、軽い気持ちで読み始めた。

ヤバい。おもしれー。

奥付を見ると2004、5年の頃の様だ。
ジャンプでこんなに盛り上がっていたんだな、当時。

この頃、俺、何してたんだろ。あぁ、一応、子育てかw

ヤバい、本当にヤバい。胸がキュンキュンするw
電車の中で、この作品のことを思い出しただけで、胸の真ん中が少し苦しい。
(決して、歳のせいではない。。。はずだ)

中学から高校、大学1,2年ぐらいの頃を思い出す。
ヤバい、本当にヤバい。胸がキュンキュンするw

主人公の「真中」に自分を重ねてみる。
ヤバい、本当にヤバい。胸がキュンキュンするw

俺も映画を撮る人になりたかったんだ、実は。
受験の時、自分の小遣いで、こっそり、日大芸術学部を受けようと思っていた。
でも、俺は諦めた。何故かって?試験科目が丸っきり文系だったからだ。
はぁぁぁ。。。ま、そんなもんだよ。俺の決意なんて。

真中が東城の小説を読んで、映画のシーンを語るところ、
俺も文庫本読んで、シーン、カット、アングルなんかを考えたりしてたんだ、当時は。

ま、そんな俺のさいのーは、今では子供のビデオ撮りに生かされているんだけどねw
どっちかっつーと、無編集、一発撮りのドキュメンタリーみたいな撮り方だけどw
つーか、記録映画だな。巨匠には失礼だが、東京オリンピックやダム工事みたいなもんだね。
いや、報道に近いかもしれんな。全部撮っとけ、みたいなw

読み始めのころ、少年誌に求められる「パンツ漫画」くらいに思ってた。
ま、実際、そーなんだがw
俺はいちおー大人だからw、いくら2次元の美少女のパンツだからって、はぁはぁしたりはしないが、
まさか、いーおっさんが、昔を思い出して胸がキュンキュンしてしまうとはw

いーところ、いっぱいあったね。
「ズキじゃなくて、ドキだろ」とか、「その後、西野と3回キスした」とかね。
もー、なんだろ、この感じ、ムラムラするね。青い感じで。大人な感じじゃなくてね。

あとさー、表情が、これまた、いーんだよ、ほんとーに。
第2回作品のラストシーン。
夏の終わりを告げる独白のあとで、ちょっとクラシックなワンピースを着た西野の表情のカット。
もー、さいこー。
あとは、第3回作品のシーン122。東城の告白のシーン。。。
正面を見据えて、「ずっと、ずっと、あなたが好きでした」
うはー、もー、たまらん。ほんと、何、興奮してんだろw

観客が「3回見た」ってのも、ほんと、そんな気がするね。
自分が高校生で、どっかの文化祭でこんな作品見ちまったら、動けないよ、たぶん。
高1の時、松高の視聴覚教室で「カリ城」見たときのことを思い出すね。
暗幕張って、超満員で、蒸し風呂状態なんだけど、かんどーして、帰りは、なんか、スッキリした気分だったのを思い出すよ。

でだ。肝心の最終回に向けての流れ。18、19巻だな。
途中、15巻くらいから、この漫画の終わり方が気になりだしてた。

あー、そーなんですかぁ。。。

ちょっと考えてみる。。。
あぁ、そうか、作者は女性なんだった。このラストは女性目線ですよ。たぶん。

東城が、「こんにちは、新しい自分」、「ありがとう、昨日までの自分」みたいなw
ここだけ取り出すと、この設定はどっちかっつーと、西野じゃないの?>先生w

でもさー、やっぱりさー、なんつーかさ、やっぱ、初めての人って忘れられないんだろうね。
で、結局、初めての人同士が、元のさやに納まると。

だからさー、先生としては、ここを押さえちゃったんだな、きっと。
こういう「想い」、大事にするところが、女性らしいっていうと怒られるのかな?今は。

だからさー、もーダメなんだって、本気のキスしちゃうとw
甘酸っぱい情景が、リアルな感覚に変化する瞬間。
その先は、頭で考えるのではなくて、ココ、胸の真ん中で考え始める。

ましてや、こーこーせー同士、理性が本能を上回ることは無いのでしょう、今はまだ。

。。。だからねー、この漫画、ほんとヤバいんだって。

昔のことを思い出して、こんなに胸がキュンキュンしてると、
理性を無くした行動をとりそうで、ほんと、マジにヤバいw

電車の時間は学生さんの時間帯を外しているんだけど、
それでもたまに制服の女子高生を見かけると、最近はドキっとする。。。

前は、それこそ別の生き物くらいに考えていて、無関心だったけど、
この漫画を読んでから、なぜか、ドキっとする。

なんだろ?なにがしたいんだろ?どーしたいんだろ?>俺
っと、電車の中で自問してたら、なんか、久々に思い出した。

おじさんと若い女の子が恋をする話し。。。「早春物語」

赤川次郎の原作と映画の内容は全く違うんだけれど、どっちも、好き。
知世ちゃんの次回作の原作を早く読みたくて、初めて「野性時代」を買ったのさ。
後頭部をガツンといかれたね。今風に言うとかなりダウンな感じ。
夕飯食べるのに、気分が重かったなw

うーん、理性を無くした行動の先には、バッドエンドが待っているwww

若いころは、責任が薄いから、衝動的な行動もアリなのか?
(反社会的な行動ぢゃなくて、あくまでも恋愛感情においてだから)

は、は、は、「いちご100%」でキュンキュンしたこと書き出していたのに、
まさか、こんな落ちになるとはねw

ま、でも、久々に、ドキドキ、ワクワクしましたよ、ほんと。
作者に感謝。

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2007年6月10日日曜日

ドラえもん「最終話」

いぁ~、泣いちゃったね、こりゃ。
「おじさん、1本取られた」って感じだね。

まぁ、きっかけは例の朝日新聞の記事なわけだが、この記事の中でも言われているように、作品への愛が感じられるというのは決して大袈裟ではないね。こういうのって、「オマージュ」って言うんだっけ?
少し前、「コミック」で検索をかけていたら、「ドラえもん-最終話」がヒットしていたが別に気にも留めていなかった。
何故なら、俺の中では「ドラえもん」の最終回は第6巻であり、当時、確か小5だった俺は、それこそボロ泣きだった。
繰り返して読みたく無くなるほど、「どブルー」な気持ちで、2、3日の間、過ごしていたと思う。

それがっ!小6になって、クラスの中で「ドラえもんの第7巻が出るらしい」、「俺はもう見た」などと噂話が飛び交った。
早速、俺は「ドラえもんの第7巻」を父に発注した(ねだった)。

そして入手した第7巻を読み終えてホっとしたのだが、同時に「そろそろ卒業かな」とも思った。

中学に入って部活(ギター)に夢中だったから、「コロコロコミックスが盛り上がっているらしい」のは知っていたが、俺の中の「ドラえもん」はいつしかフェードアウトしていた。

「最終話」の中で「夏休みごとの冒険」と皮肉?られていたが、長編映画のCMが始まると「もうそんな時期か」という、一種の風物詩化していた。「ドラえもん」は俺の生活の中で、そんなポジションになっていた。

藤子不二雄先生の分裂も、なんか「大人の事情」みたいなものが見えてしまった気がして少し引いてしまったのもある。

その後の、先生が亡くなったのも、「ドラえもん」の中の人たち(声優さんたち)が交代したのも、ニュースとして知っている。が、ショックというよりも情報のフォローと言う感じであった。

しかし、例の朝日新聞の記事で「ドラえもん」の新作はもう読めないんだ、という事実に気付かされてしまった(少し大袈裟か)。
だから、この事実こそが、この「最終話」の創作における原動力なんだ、ということが理解できた。
また、この点に対して小学館が理解を示していることも読み取れた。

この「最終話」は同人誌として出ている。ここのところ、俺は同人誌関連に興味を持っている。
きっかけは、ITmediaの、同人誌の表現の規制に関する記事だ。
これによると、「規制の強化はすべきではない」と朝日新聞の当時の社説で述べられていたそうである。
この事が、今回の「最終話」の記事の論調と、俺の中ではリンクした。

「最終話」の記事の論調は、著作権に配慮しつつも、創作活動を保護しよう、と俺は読んだ。
だが、その背後には、びみょ~に、国策としての「漫画・アニメ文化の保護育成」みたいのが透けて見えたのは、俺の色眼鏡のせいなのか?
「オタク文化を、知財としての保護育成」とは言っても、所詮、ビジネスライクな話であると、俺は理解している。
「ハードウェアの輸出からソフトウェアの輸出へのシフト」などと言う知識人がいるが、ビジネスとして成立しないのであれば、いわゆるオタク文化はいつまでもアングラ扱いであり、それは中華系Torrentサイトでも見ればすぐに解ることである。

「最終話」の記事を読んでて思ったのだが、石ノ森先生のところみたいにうまくできないものだろうか?
詳しいところは良く解らないが、要するに「原作:石ノ森先生」みたいな事が言いたい。
戦隊シリーズ、仮面ライダーシリーズの例と言うよりも、コミックスでの「原作:石ノ森先生」の方が、より、トリビュートっぽくなっていると、俺は思う。
(戦隊もの、仮面ライダーシリーズは、トリビュートというよりは「名義貸し」みたいに見える)

あいにく「プルート」は未読だが、手塚先生のトリビュートとしても評価されていると聞く。
藤子不二雄先生のところも、こんな感じでうまくできないものだろうか?と思う。
「原作:藤子不二雄」みたいにして、気合の入っている奴に創作させてみるというアプローチである。

見たところ、「最終話」は作画的に完成していないのではないかと思う。
ペン入れ(というのかな?)されていないページがあるからだ。
事情はわからないが、もしリスペクトやオマージュの気持ちがあるのならば、イベントに間に合わせることよりも、自己満足でも良いから納得の行く完成度のものを世に出すべきであると俺は思う。
それが同人誌であっても、というよりも、同人誌であるからこそ、それを追求すべきだと俺は思う。

だから、この「最終話」の完成した形を、キチンとした形で見てみたいと思う。

今回の騒動では、「最終話」の作者に対して、俺は素直に「ありがとう」と言いたい。

この話の内容で泣ける奴は、俺と同じ「大きなお友達」の年齢だと思う。

しばらくぶりにブログに投稿する気にさせてくれた「最終話」であった。